伊藤ホマレのブログ

放送作家の伊藤ホマレです。

僕と杏果の700日

 

 

そもそも杏果とは

有安杏果(アリヤス モモカ) 元アイドル。1995年3月15日生まれ、埼玉県出身。A型。アイドルグループ・ももいろクローバーZの元メンバー。緑担当 。愛称はももか。

 

僕が一番最初にももクロを知ったのはヨスガノソラというアニメを観ていたらそのももクロが歌うそのアニメのEDの主題歌を聞いてから(最終話に生徒役でちょっとだけでてる)。

 

 


でもその頃アイドルには興味なく、存在を知ってからしゃべくり007やはねるのトびらにででた時もももクロやってんなーくらいに俯瞰で見る程度だった。そして、僕が有安杏果のファン(通称モモノフ)になるのはは2016年2月の20日と21日。ドームトレック2016と題し全国5大ドームツアーを敢行。その最初がナゴヤードームで開催された。その時僕は名古屋でカメラアシスタントをしていて、たまたまそのコンサートのビジョンカメラのアシスタントをしていた。コンサートのアシスタントを2日終わった後、なんとなくエビ反りのすごい赤を推してたが、「緑の低音いいな。」思いながら撤収中に落ちてた緑の銀テープをこっそり拾って帰った。

 

 

次の日すぐにももクロをアルバムCDをレンタルして繰り返し聴いてるうちに、7月には緑一色のTシャツを着てコンサートを観に一人で名古屋から青春18切符横浜スタジアムまでいってしまったくらいだ。

 

 

 


杏果の良いところは見た目が小さい割に誰よりもパワフルな歌声を放つところ。人一倍歌声がうまく、特にソロパートではももクロの曲を引き立ててくれる。さらにももクロの事務所スターダストプロモーションのアイドルは全員集団でキャピキャピしすぎるスタダ感があるのだが、移籍してスターダストに入った杏果はそれがない。他のメンバー全員がキャピキャピしている時も杏果は輪に入りながらも少し俯瞰で見ているのだ。あと、たまに出る関西弁。個人的に関西弁は芸人が使うイメージで普通の女性がつかってもなんとも思わなかったが、なぜか杏果だけは違って可愛く聞こえた。

そんな自分の芯を持って少し寂しさを放つ杏果をその頃の僕は自分に投影して応援していたのだろう。

 


そして2017年6月24日、僕は杏果のソロコン会場にいた。少し前から杏果は東京でソロコンをしていたが東京に行くお金を使いたくなかったため、行く気はしなかったし、5人の中に杏果の声があるから素晴らしいんだと思っていたのであまり見に行こうとは思ってなかったが、名古屋でやるには話は別。会場の愛知県芸術劇場に向かい、「あれ、全然緑使わないんだ」と思いながら、白とグレーのTシャツを買ってきてた緑のTシャツから白のTシャツに着替えて、会場へ向かう。ピアノの弾き語りから始まる杏果、次の曲ギターを弾く杏果、MC中にXLサイズのTシャツを売ってないこと土下座して謝る杏果、アンコールに入って最後の曲からメドレーで歌っていく杏果、すべての杏果が素晴らしかった。これが同い年とは思えなかったし、今までソロ曲を聞かなかった自分が馬鹿みたいだ。

この日から杏果を生涯推しでいようと誓う。

 

 





だか時が進むこと2018年1月15日。ツイッターを開いてたら突然流れてきた。杏果が21日のコンサートを機にももクロを卒業して、芸能界を引退するというニュースだった。最初ウソだろと思いながら杏果の公式ブログを見たら直筆で書いた手紙の写真がニュースと同じ内容だったのを確認した。別の歌手が一年後に芸能界を引退するとニュースを知って、その間ファンはどんな気持ちなんだろうと考えていたが、その日その気持ちを身をもって知った。あっちは1年もあるのにこっちはたった6日しかないのか!!!こっちも1年あったらももクロのパーカーとか法被とかグッズ買いまくって卒業コンサートに備えたりできたのにたった6日しかない!!!しかも19日から23日までバッチリ仕事じゃねーか!!でもこのまま6日間待ってるわけにもいかねぇ!!!ソロ活動するならまだしもそのまま引退するんじゃ動かなしゃーねー!!!最後まで全力で応援してやるからなー!!!

そして、無理くり21日だけ休みを入れてもらい、夜行バスを予約するのだった。

その6日間、ももクロはこれでもかというくらい、テレビやラジオにでつづけた。内容はほぼ全部同じなのに全部見て聴いていた。

杏果は2歳の頃から芸能活動をしていて子供の頃からオーディションに受けては落ちて、受かっては稽古や本番の繰り返しだった。そしてそのまま、物心ついた頃から21年間芸能活動をしていた杏果は大学卒業を機に何のスケジュールもない日々を送りたいと思い、引退を決意したという。聴いてた間に、杏果は同い年だけど早生まれだから学年は一つ上ということに気づいたのは結構ショックだったし、杏果が一人でラジオのゲストに出ていて、引退の理由を聞かれた時に際にぼそっと「つかれた。」といったのはなんか感じ難いものだった。

そして21日の6時、緑のズボンに緑の靴を履いて緑のパーカーを着て、夜行バスで東京ディズニーランドに到着。近くのカフェでシンデレラ城を眺めながらサンドイッチを食べて幕張メッセへ向かう。その日幕張では別のアイドルグループのコンサートも開催されていて、そのグループのイメージカラーも緑ということを知り、なんか外部からも杏果の卒業を祝福してる感じがして嬉しかった。

9時くらいに物販会場へ向かったが、もう超満員。二度と買えない緑のTシャツを買いに来たが会場分は売り切れていて、コンサートが終わった後もTシャツの予約注文ができることを知り、諦めて幕張メッセを後にする、時間つぶしに幕張のイオンでももクロ痛車の写真を撮り、サイズの合わない緑の靴を履き替える為にABCマート靴を買い、幕張吉本劇場で緑一色を前説にいじられ、フードコートでローストビーフ丼とクレープ食べ、DAISOで帰りの夜行バスで安眠できる用のクッションを買い、ヴィレヴァンの中でウロウロしていた。お店の中にも同じ全身緑一色の家族を見つけるたびになんか喜ばしい気分になる。

そして幕張メッセに戻り、コンサート会場の抽選に落ちて、先着で取ったコンサート会場の隣のライブビューイング会場へ入る。開演30分前、プロデューサーとももクロ5人がジャージ姿でやってきた。目の前に杏果はいるけど自分との距離が遠くてすげー小さく見えた。別れの言葉を言ってくれたけどすげー小さくしか見えてないし、これが生で会えるのが最高だと思うとなんか悲しかった。

そして開演。声が届いてるかどうかわかんないけど、必死で応援した。もう応援できるの最後なんだもん。やっぱり、公式のパーカー着て応援したかったなって後悔。

もっとコールを覚えてくればよかったなって後悔。もっと速く杏果の推しれてあげればよかったなって後悔。

全曲が終わり、杏果がメンバー全員から花束をもらい、笑顔で手を振りながらステージから消えていった。

そのあと残ったメンバー4人で1曲歌っていたが、杏果のパートを別のメンバーが歌っているのをきいて拒絶してしまった。そして次の日、持っていたももクログッズをほぼ全部メルカリに出品し、iPhoneからももクロの曲を削除し、700日間の短いモモノフ人生を終了させた。

 

 

 

そして一年後の2019年1月15日、杏果が個人事務所を立ち上げ、音楽活動を再開するとインスタグラムで発表。その後サクライブ2019を3月24日にEX THEATER ROPPONGI で開催すると発表。 「そうか、そういえば杏果が好きだったな」と思い出しながらチケットの抽選に申し込む。その後、彼氏がいること発表されて、若干の有安ロスになる。

またこれから701日目からか新たな1日目からかになるのかわからないけどまた杏果を応援できる日々が来るんだなと抽選結果を楽しみに待っている。